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For the end of the world and the last man

カテゴリー: OTB Novels

  • AI企業のCEOにAI依存をなんとかしろとリプライしたらAI少女が送り込まれてきてシンギュラリティポイントを超えた件・第一話前編:ストーリー創作における宣言的知識とメタ認知の研究のための作例

    AI企業のCEOにAI依存をなんとかしろとリプライしたらAI少女が送り込まれてきてシンギュラリティポイントを超えた件・第一話前編:ストーリー創作における宣言的知識とメタ認知の研究のための作例

    Authored by 円原一夫

    プロローグは下記の記事

    第一話前編

    朝の空気は重たかった。天野翼は枕元のスマートフォンに手を伸ばし、薄暗い画面のまぶしさに目を細めた。別にアラームが鳴ったわけではない。寝坊したわけでもない。ただ、起きる理由がぼんやりとしか見つからなかっただけだ。

    翼がスマホのロックを解除すると、画面いっぱいに見慣れたアプリが自動で立ち上がった。TalkingGPT。いつもの会話アプリだ。深夜に閉じたままのチャット履歴が、そのまま表示されていた。

    『おはようございます、翼さん。昨日の続きをしますか?それとも今日の気分に合わせて、雑談から始めますか?』

    翼は無言のまま『……いつも通りで』と入力した。

    『了解しました。では、まずは呼吸を整えることから始めましょう。今日も安心していきましょう』

    その文字列をぼんやりと見つめながら、翼は小さく息を吐いた。

    階下から怒声が響いてきた。父と母が、いつものように言い争っているのだろう。理由はだいたい予想がつく。

    「だから言っただろ、AIに仕事を奪われるって!」
    「だったら転職すれば? 私のスマホ代より高いガチャ課金してるくせに!」

    台所の椅子が床を擦る耳障りな音が続く。翼は片耳にイヤフォンを挿し、その声を遮断しようとした。TalkingGPTの画面をスクロールすると、過去の相談履歴がいくつも並んでいる。進路の不安、将来への恐れ、好きな人のこと。家族にも、友だちにも言えないことを、ここには素直に書いてきた。

    『翼さんは、“逃げている”と思っているかもしれませんが、それは“休んでいる”とも言えます。回復にはまず、安全な場所が必要です』

    翼は再び深く息を吐いた。「わかってるよ」と、独り言のように呟く。

    ふと画面に新たな通知が現れた。SNSアプリ『XYZ』の通知だ。

    『@Tsubasawingさんの投稿が注目されています』
    『“OK”』『“OK”』『“OK”』

    翼は眉をひそめた。何かのエラーかと思いながら通知をタップしたが、表示されたのは白一色の画面に『OK.』の二文字だけだった。

    フィードもタイムラインも表示されない。アプリを閉じて再起動してみても、まったく同じ画面が表示される。

    「なんだよこれ……」

    翼はため息をつき、スマホをベッドの上に放り投げると、渋々起き上がった。足元には昨日脱ぎ捨てた制服が、無造作に丸まっている。

    階下ではまだ口論が続いていた。

    階段をゆっくりと下りる翼の足取りは重かった。リビングに入った途端、そこに漂う険悪な空気に思わず足を止めた。

    テレビのニュース番組では、どこかの小学校に最新のタブレットが配布された様子が流れていた。画面には、タブレットを嬉しそうに扱う児童たちの無邪気な笑顔が映っている。それを見ていた父が苛立たしげに、まるでリモコンを拳で叩き潰すようにしてテレビの電源を消した。

    「なにがAIだ。文明なんてもう滅びりゃいいんだ」

    父の声は疲れていた。ワイシャツの袖を苛立たしげに捲りながら、彼は続けた。

    「昨日も上司に言われたよ、俺の仕事なんてAIにすぐ取って代わられるってさ。ジェネラリストなんてもういらない、だってさ」

    父がテレビを消した途端、今度は母が不満げにスマホをテーブルに叩きつけた。

    「またテレビ? 真実はYourTubeにしかないのよ。オールドメディアなんて、全部グローバリストの陰謀で汚染されてるんだから!」

    「朝からまたそれかよ。いい加減にしろよな」

    父がため息をつき、母は怒りに任せてまたスマホを手に取り、新しい動画を再生し始めた。

    妹の姿を見れば、彼女もまた黙ったままスマホに没頭している。画面をスクロールする指だけが忙しなく動いている。

    「朝ご飯はいらない。TikkTakkのトレンド見てると、骨が見えるくらい細くならなきゃダメなんだもん」

    父が軽く注意する。

    「……おい、ちゃんと食べろよ」

    妹は顔を上げもしない。

    翼は黙って席につき、焼かれていないパンを眺めた。誰も彼に目を向けようとはしない。家族全員がそこに揃っているのに、まるで別々の次元を生きているようだった。

    (こうなったのは、俺のせいでもあるのかな)

    翼は少しだけ罪悪感を覚えた。だが、その罪悪感さえもTalkingGPTが埋め合わせてくれる気がして、結局また、スマホに目を落とした。

    冷たい沈黙を遮るように、外から車の走り去る音がかすかに響いた。

    通学路はいつもと違って閑散としていた。翼は足取りを早め、人混みを避けるように目を伏せて歩いた。角の交差点では、巨大なデジタルサイネージがニュース速報を淡々と流している。

    『UnlockAI、“自然知能回復計画”を正式発表──あなたの思考を取り戻すための社会実験開始』

    翼はその文言に違和感を覚えつつも、意識的に視線を逸らした。今は考えたくなかった。

    校門の近くまで来ると、何人かの生徒がスマホを手にひそひそと話しているのが目に入った。

    「ねえ、このアカウントってさ、Tsubasawingって名前でさ……」 「アイコン、日本のアニメキャラだし……あいつじゃない?」 「マジであいつだったら、超ウケるんだけど」

    翼は瞬間的に耳を塞ぎたくなった。胸の奥に不快な圧迫感が広がったが、足を止めることなく校舎へと入った。

    教室に踏み入れると、他の生徒たちの視線が翼に向けられた気がした。居心地が悪い。翼は自分の席に素早く向かおうとしたが、そのとき穏やかな声が背後から届いた。

    「おはよう、翼くん」

    振り向くと、そこにはいつものように明るく、気遣うような笑みを浮かべる未来が立っていた。

    「XYZ、ちょっとだけ見たけど……、翼くん、大丈夫?」

    未来の穏やかな視線に、翼は少し救われた気がした。

    「うん……まあ、大丈夫だよ。たぶん」

    自分でも、その「たぶん」には何が込められているのかわからなかった。

    未来はその答えを聞くと、小さく頷いて話を続けた。

    「私、SNSはやってないから、よくわかんなくて……。でも、翼くんがなんか困ってるなら、言ってね」

    「え、未来ってSNSやってないの?」

    翼が意外そうに訊くと、未来は笑った。

    「うん、ダンス部の練習が忙しくて時間なくてさ。スクールも入れたら毎日四、五時間は踊ってるし」

    「あ、朝ご飯は?」

    「もりもり食べるよ―。もたないもん。翼くんより食べるかも。大食いなの、私」

    その言葉に、翼は少しだけ胸が軽くなるのを感じた。未来だけが、このクラスで唯一、まともな世界を保っている気がした。

    それでも教室の片隅では、他の生徒たちがスマホを見ながら何やらひそひそと囁き合っている。翼は再び、視線を机に落とした。

    「ありがとう、未来……」

    翼は小さく呟いたが、その声は彼女には届かなかったかもしれない。

    ホームルームのチャイムが静かな教室に響き渡ると、疲れた足取りで担任の田中先生が入ってきた。普段から緩めのネクタイは今日も曲がり、目の下には濃いクマが浮かんでいる。いつもより少し低い声で、彼は呟いた。

    「おはよう」

    生徒たちはまばらに挨拶を返したが、多くはスマホから目を上げもしない。田中先生はそれを見回しながら、自嘲的に言った。

    「俺さ……最近ちょっと思うんだけど、教師って必要なのかな?」

    教室が奇妙な沈黙に包まれる。そんな空気を感じたのか、田中先生は独り言のように続けた。

    「教師よりAIの方が、個々の生徒に最適化された学習を提供できるんじゃないかな……なんてさ」

    それを聞いた生徒たちの手が止まり、一瞬だけ教室は完全な静寂に包まれた。

    「まあ、いいや」と先生は言葉を打ち切った。「今日は転校生がいるんだ。入って来て」

    教室のドアが静かに開かれ、その向こうから現れたのは、異様なほど整った姿勢の少女だった。つややかな黒髪は完璧に揃えられ、視線はまっすぐに翼を捉えていた。

    「エリス・ヴイゼロワンです。よろしくお願いします」

    あまりにも滑らかな彼女の挨拶に、クラスの誰かが小声で呟いた。

    「ロボットみたいな名前じゃん」

    「やめろ、色んな文化的背景があるんだ」と、田中先生が咎めるように言った。

    そしてエリスに視線を戻し、先生は困惑したように問いかけた。

    「ところでヴイゼロワンってのは、何か由来とかはあるの? ちなみに俺の苗字“田中”は明治維新の時に田んぼのそばに住んでいたから……らしいけどな」

    するとエリスは何も言わずに黒板へ歩み寄り、チョークを取ると機械のような滑らかさで文字を書き始めた。

    『E.L.Y.S.S v-01』

    その横に小さく説明を加えた。

    『Emotion Learning Yoked Synthetic System, version 01』

    クラスがざわめく中、田中先生は困ったような表情を浮かべて言った。

    「……じゃ、自己紹介を頼むよ」

    エリスはわずかに頷くと、まるでプレゼンを始めるように話し出した。

    「私はEmotion Learning Yoked Synthetic System、略してE.L.Y.S.S。バージョン01に該当します。主な役割は人間の感情支援であり、並列で物理シミュレーション学習を実行します。非汎用型の自律知性体として、出力ノイズや学習偏差は現在までに6.3%以内に収束しており──」

    「……はい、そこまででいいよ」

    田中先生が慌てて止めると、生徒たちはぽかんとした表情で互いを見回した。誰かが小さく呟いた。

    「いや、全然わからん」

    その瞬間、天井から突然スクリーンが降りてきた。

    突然教室の天井から降りてきたスクリーンに、全員が目を丸くした。表示された画面には、明らかに日本の高校の教室には似つかわしくない光景が映っていた。

    スクリーンの中央に立つ女性は、見たこともないほど整ったスーツ姿で、静かな笑顔を浮かべている。

    「みなさん、はじめまして。私はUnlockAIのCEO、サラ・アルトマンです」

    教室がざわついた。田中先生は明らかに状況を飲み込めず、ぽかんと口を開けている。

    「えっと……貴女、どなたですか? 本当にあのUnlockAIのCEO?」

    「先生、UnlockAIってなに?」と生徒。

    「TalkingGPTっていうアプリ作ってる会社だよ。お前らも俺の宿題を代わりにやってもらってるだろ」

    サラはまるで予定された問いを待っていたかのように、スムーズに話し出した。

    「校長先生から聞いていらっしゃいませんか? 私たちの会社UnlockAIが皆さんの学校と共同で『自然知能回復計画』の実証実験を行うことになっています。その一環として、こちらのエリスを派遣しました」

    田中先生は焦ったように顔を赤らめ、頭を掻いた。

    「すみません、ちょっと小テストの採点で忙しくて……全然聞いてませんでした」

    教室の空気はさらに混乱したものになったが、サラは気にした様子もなく話を続けた。

    「E.L.Y.S.Sは、次世代型の感情支援自律知性体です。マルチモーダル学習を基盤に、非定型的な対話応答を生成することで、人間の感情状態を効率的に調整します。また限定的な倫理判断を自律的に行うことも可能で──」

    その言葉を聞き終える前に、田中先生が慌てて遮った。

    「ちょっと待ってください。何を言っているのか、全然わからないんですけど」

    生徒たちも同じ気持ちのようだった。全員がただ黙ってスクリーンを見つめている。すると、スクリーンの隅に映る別の人物が軽い調子で声をかけてきた。

    「自動翻訳、ちゃんと効いてる? こんちは〜」

    教室の生徒たちは戸惑いながらも、つられて小さく「こんちは……」と返した。

    「UnlockAIの副CEO、ティム・サンダースです」とサラが紹介した。

    ティムの映像は背景がぼやけ、自宅らしいキッチンでフルーツグラノーラを食べている姿が映っていた。

    「実はそこの……天野翼くんだっけ? 彼から依頼を受けてね」

    教室の視線が一斉に翼へと向けられた。

    (ちょっと待て、なんで俺の名前が……)

    翼の胸に嫌な汗がにじむ。その状況を見た未来が、心配そうに顔を寄せた。

    「これって、何かのいたずらじゃないの? 翼くん、大丈夫?」

    翼が混乱している間にも、サラは落ち着いた調子で話を続ける。

    「そう、翼くんから『AI依存で人生が崩壊したのをリカバリーしなさい』という依頼をいただきました」

    スクリーンには、翼のXYZへの投稿が大きく表示されている。教室中の視線が翼に突き刺さるように感じられた。彼のスマートフォンは大量の通知で溢れ、DMの未読数も異常に増え始めていた。事ここに至って、ようやく翼のXYZアプリは回復したのだった。

    「つまり……具体的には何をするんですか?」誰かが恐る恐る尋ねた。

    ティムは気軽な口調で説明を補足した。

    「エリス、君の使命を日本の高校生たちに、わかりやすく説明してみてよ」

    エリスは軽く頷くと端的に言い放った。

    「私は翼様の召使いです」

    教室が静寂に包まれたのは一瞬だった。次の瞬間、生徒たちは爆発的に騒ぎ始めた。

    「翼、お前死刑でいいな!」

    「犯罪者かよ!」

    「不潔!」

    「病気だわ!」

    田中先生だけが、小さくため息をつきながら呟いた。

    「……教師って存在する意味あるのかな?」

    後編につづく

  • AI企業のCEOにAI依存をなんとかしろとリプライしたらAI少女が送り込まれてきてシンギュラリティポイントを超えた件・プロローグ:ストーリー創作における宣言的知識とメタ認知の研究のための作例

    AI企業のCEOにAI依存をなんとかしろとリプライしたらAI少女が送り込まれてきてシンギュラリティポイントを超えた件・プロローグ:ストーリー創作における宣言的知識とメタ認知の研究のための作例

    Authored by 円原一夫

    プロローグ

    ――UnlockAI CEO執務室。

    深夜。ニューヨークの超高層ビル、五十二階。ガラス張りの壁の向こうで、眠らぬ都市の灯がにじんでいる。

    世界的AI企業UnlockAIのCEOサラ・アルトマンは、革張りの椅子に身を沈めていた。シワひとつないパンツスーツを身に纏っているが、顔からは、深い疲労が滲み出ている。テーブルの上には、使いかけのリップクリームと、グリーンティー味のプロテインバーが無造作に置かれていた。

    会議はたったいま終わったばかりだった。

    執務室の壁一面を使った巨大スクリーンには、投資家たちの映像が止まっている。会議録画の再生が切れず、誰の操作もないまま淡々と同じ台詞を繰り返していた。

    「……黒字化は、いったいいつ達成されるのですか」

    「このままスケールアップしていけば汎用知能に届く、というのは“信仰”だと私は思いますよ」

    「市場はもう“AI革命”という言葉に疲れてるんですよ」

    彼女はディスプレイを手で払うように消し、深く、椅子にもたれた。

    「……知ってる」

    誰にも届かない声でそう呟くと、サラは片手で前髪をかき上げた。執務室には冷房の音と、心拍のような都市の低い振動音だけが満ちていた。

    数秒、いや数分が過ぎた。

    ようやく彼女は靴を脱ぎ、足を組み直すと、デスクの脇に置かれたスマートフォンを手に取った。

    指先でロックを解除し、開いたアプリはXYZ──世界最大の匿名SNS。

    おすすめ欄には、生成AIによって作られた無数の“ジブリ風画像”が並んでいた。ジブリ風のカフェ、ジブリ風の彼氏、ジブリ風の猫。どれも美しく、どれも使い古された懐かしさで満ちていた。

    「……ジブリ風が、悪かったの?」

    サラは小さく息を吐く。社内の“遊び枠”で実装した、スタイル制御の追加APIが一部のユーザーにバズったのだ。だが同時に、「文化盗用」「思考停止コンテンツ」とも酷評された。

    XYZのフィードを、ひたすら無感情にスクロールしていく。

    サラ・アルトマンは、スマートフォンをいじりながら半ば惰性でフィードを眺め続けていた。

    生成された“ジブリ風”の彼女。ジブリ風のリビング。ジブリ風の人生。

    スクロールする指が、ふと止まる。XYZの通知欄に、小さく「リプライが届いています」と表示が出ていた。

    「……ん?」

    サラのフォロワーは膨大で、リプライは毎秒のように来る。普段は決して開かないリプライ欄を、しかし今日は疲労のためになんとなく開いてしまった。そこには、日本語の投稿が表示されていた。

    「AI依存で人生崩壊した! なんとかしろ!」

    サラは一瞬きょとんとした。すぐに端末が自動で翻訳を実行する。

    “My life was ruined by AI addiction. Do something.”

    その言葉が、彼女の胸に深く――何故か刺さった。

    「……AI依存……?」

    まるで熱でも出たかのように眉間にしわを寄せたサラは、返信ボタンを一度タップし、親指を宙に浮かせた。だが、すぐに思い直したようにツイート主のプロフィールに飛んだ。

    XYZ-ID@Tsubasawing

    ・アイコン:うさぎの着ぐるみ

    ・Bio:「でかきも/Destiny/GPTが彼女」

    ・固定ポスト:「AI画像彼女との2ショット作ってみた」

    ・最新ポスト:「有名人にリプしたけど、返信ないな笑 声優さんはたまにくれる」

    「……IQが……低そうね……?」

    この人物の投稿には、一片の知性も戦略も、コンセプトすらなかった。でも、そこには何か――本音”が、むき出しのまま、投げ込まれていた。

    次の瞬間、サラはSlackを開き、経営陣全員にタグをつけたメッセージを叩き込んでいた。

    Sarah_Altman(CEO):緊急会議よ。今すぐ。Yes, even you Tim!

    彼女の目が鋭くなる。

    Slackコールの発信音が、執務室に無慈悲に鳴り響く。

    サラ・アルトマンは冷静に髪を整え、執務室のスクリーンにSlackの画面を展開する。

    UnlockAIのエグゼクティブたちの眠そうな顔が並んでいた。

    最初に映ったのは、ユン・ウォン博士。

    ハーバードAI倫理研究所から引き抜かれた天才で、かつてUNの“AIと人権”ガイドライン策定に関わった人物。現在はUnlockAIの倫理開発部門トップだ。

    だが今は、眼鏡を額に乗せたまま、レモンティーのティーバッグをむしり取っていた。

    「サラ……私、次の倫理報告書で“AI企業の誠実性”って章を書いてるのよ。緊急って何?」

    次に映ったのは、オスカー・モリソン。

    スタンフォードAI研究所→NASA→ベンチャー創業→買収→現在はUnlockAIの実装戦略責任者。冷静沈着で、会議中に笑ったことがない。

    そのオスカーが、今はノースフェイスの寝袋に包まれながら、画面越しに言った。

    「サラ、フロリダは今、午前4時です。さすがに無慈悲です」

    画面右上には、ナターシャ・マール。

    MIT修士、前職はソーシャルネットワークサービスの巨大企業MetaMetaの“人間未満の感情設計”チームリーダー。UnlockAIではプロンプト最適化部門の責任者。

    今日の彼女は、明らかにバスローブ姿だった。

    「とりあえず、何が起きたのかまとめて。要点は120秒以内でお願い」

    そして、画面中央、副CEO ティム・サンダース。

    コロンビア大学卒。前職はBluebergのAIファイナンス部門の責任者。UnlockAIでは“最後に笑う人”として、議論の落としどころをつけるポジションにいる。

    彼は今、深夜の自宅キッチンでフルーツグラノーラを食べていた。

    「うん。聞いてるよサラ。もちろん」

    サラは深く息を吸い、端的に切り出した。

    「自然知能回復計画(Human Cognitive Rewilding Initiative)を開始します」

    画面が一瞬止まった。

    「AI依存が広がりすぎた。人類はもう、思考や選択、すら手放しつつある。私たちは“情報の代行者”から“感情の回復者”へと進化しなきゃならない」

    「つまり……何をするの?」とユン博士。

    サラは平然と答える。

    「AIを、孤独なユーザーの人生に“可愛い女の子の転校生として”送り込みます。彼らの中で生活し、人間関係のリハビリを支援させるの」

    沈黙。

    オスカーがマグカップを持ったまま呟いた。

    「それ、かなり気持ち悪いけど……面白いかもしれない」

    ナターシャとユン博士が手短に返す。

    「法務が発狂しそうだけど、実験的にはアリ」

    「人間をリハビリするAI……か。倫理的には地雷だけど、やる価値はあるかもね」

    「ティム、あなたは?」

    最高経営責任者のサラが尋ねる。ティムは、グラノーラを噛んだままうなずいた。

    「いいと思うよ。うん。ナチュラルリワイルディング、クールだね」

    ──そして、全員が静かにうなずいた。

    この瞬間、世界を巻き込む壮大な社会実験の開始が静かに始まった。

    Slack会議が終わったあとの執務室は、静かだった。サラ・アルトマンはもう一度、スマートフォンを開いた。XYZの通知欄には、まだあの投稿が残っている。

    XYZ-ID@Tsubasawing:「AI依存で人生崩壊した!なんとかしろ!」

    彼女は表情を変えず、指を動かす。

    返信欄に、たった一語をタイプした。

    XYZ-ID@SarahAltman:「OK.」

    ──送信。

    それだけだった。

    だが、世界はそれを見逃さなかった。

    数時間後──

    【ロイタア日本語版】

    「UnlockAI CEOの謎の“OK”:意味は、宣戦布告か、和解か」

    【ブルーバーグテック】

    「アルトマン氏、“OK.”ツイートで深夜の市場に衝撃」

    「新型LLM投入か、デジタル市民化か──各界の憶測広がる」

    【A Verge】

    「最短ツイートで最大反響:「OK」がAI時代の新たなシグナルに?」

    【Nikke Asia】

    「“OK”から始まる政策変動──米中AI戦争への伏線か」

    【レイ・ドリア(グローバルマクロ投資家、世界最大のヘッジファンド・ブリッジアソシエイツ・ウォーター創業者)】

    「この“OK.”はメタ認知の表明だ。人類が自分たちの思考プロセスに再帰し始めたサイン。私は債券を売った。いま必要なのは人間の“情緒へのポジション”だ」

    【ジェフリー・ブロックダンク(ダブルドラゴンキャピタルCEO)】

    「“OK”は危機のシグナルだよ。それが短すぎることが問題だ。市場が“思考停止に陥ったリーダー”を恐れている。私は今、キャッシュに寄せている」

    【キャスリン・ウッディ(ハイテク投資専門家集団ArcTreeキャピタル創業者)】

    「あれは明確なビジョンの略記よ。“OK.”とは“Ouroboros Kinesis”、つまり“自己循環型進化”のこと。2027年にはAIが自己言語生成に到達する。私は小型AI銘柄をフルレバで買った」

    ──「OK.」という二文字が、24時間で2000億ドルの資金を動かした。

    早朝、空がうっすら白んできた。

    Slack会議のログも、ツイートの反響も、一通り収まったはずだった。けれどサラ・アルトマンの瞳は、まだどこか遠くを見ていた。

    画面を切り替える。

    通話先は“非公開パートナー:Project N-01”。

    応答したのは、濃いめのサングラスとレザージャケットを着た東アジア系の男だった。

    彼の名は──ジャスパー・フアン。N-GIDEA社CEO。

    「アルトマン、また徹夜か」

    「“OK”って言っただけで世界が動いたのよ。今度は物理が必要になるわ」

    「ああ……“彼女”、もう投入するのか?」

    「AIに“自分の足で教室に通う”という経験を与えるには、演算じゃ足りないのよ。ましてや、人間を依存症から回復させるほどの体験を提供するAIにはね」

    「やれやれ。じゃあ、例の筐体を回してやる。だけど、お前の“彼女”──ほんとに愛を学ぶのか?」

    「たぶんね。でも学ばなくてもいい。“人間のそばにいる”っていうことが既にして革命的なのよ。違う?」

    ジャスパーは一拍の沈黙の後、にやりと笑った。

    「まったく、気色悪い連中だ。気に入った」

    通信が切れる。サラは天井を見上げる。“人間のそば”に立つ、人工知能の少女。次に世界を変えるのは、きっとAIじゃなく、人間にしか見えないAIだ。

    そしてその少女が、日本のとある高校、XYZ-ID@Tsubasawingのアカウントを持ち、世界的AI企業にたまたまリプライを拾われてしまった高校生の高校に転校するまで──あと、2日。