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  • 叶えられた祈り:谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』

    叶えられた祈り:谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』

    Authored by 円原一夫

    谷川流、著。来年で刊行されてから二十年になる。二十年もあれば、一人の人間が成人になったり、経済先進国の地位が入れ替わったり、「キョン! 何々をするわよ!」とアニメを踏まえたジョークをSNSに書いても、若い人に「この『キョン』って何ですか、叫び声ですか?」というメッセージを貰ったりするのには十分な時間である。

    それでは、あなたとこの作品の関係はどのように変化しただろうか。あなたはもう、この作品を少々オールドだと感じている。何故なら、あなたはトラックに轢かれて別の世界に行き、そこで暮らしたいと思っている。あなたは既に確立された、諸々の身分「悪役令嬢」「負けヒロイン」「最強だった魔王」「追放された勇者」「実力を隠したエスパー」になり、そしてその身分に微修正を加えることのできる世界へ行き、ここへ、帰ってきたくないと思っている。

    つまり、『涼宮ハルヒの憂鬱』は極めてオールドなタイプの啓蒙主義小説になってしまったと、私はそう言いたいのである。オールドなタイプであることには、何の否定的な価値も含まれていない。反時代的であることは、場合によってはむしろ良いことだ。

    オールドなタイプの啓蒙について説明する前に、私は以下のような問に取り組むことにしよう。ハルヒは何故、キョンと接吻することによって、あの青白い巨人が街を破壊し、巨人の他にはハルヒとキョンしかいない世界から帰ってきたのかということである。そう、あなたはまだちゃんと『涼宮ハルヒの憂鬱』を読んでいないのである。この疑問を、私は、奇異なものだとは思わない。オールドなタイプの疑問だと思っている。それはあなたがハルヒの舌の味、キョンの舌の味を想像してよいからである。あるいは、あのまま、巨人に見下ろされながら、接吻以上の何かを試みる二人を想像してよいからである。つまり、性愛によって彼女が救われたということを、スニーカー文庫がアウトリーチしようとする読者層にあわせてマイルドにしたのだということでは、説明にならないと、私は言っているのである。

    実際、あの世界から戻った後のハルヒとキョンの間に、例えば(それこそスニーカー文庫がアウトリーチしようとする読者層に合わせた男女の関係性である)「カップル」になったとか、「恋人同士」になったという描写はないのである。僅かに、ハルヒが短い髪でポニーテールを作ろうとしていたことが描かれるだけである(だが、後で書くがこれはオールドなタイプの啓蒙のための髪型である)。

    まず、あの世界がどのように作られたのか、どのようなものか、それを確認することにしよう。

    『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の主人公が亀有公園前派出所ではないように、『涼宮ハルヒの憂鬱』も涼宮ハルヒが主人公ではない。これは、キョンという、その本名が明かされない男子高校生が主人公であり、彼の一人称視点で物語は進行する。谷川流は極めて優秀な作家であって、この点にもオールドなタイプの啓蒙のための必然性があるのだが、そのことは今は置いておこう。ともかく、その彼のクラスメイトが涼宮ハルヒという少女であり、彼女には彼女自身理解していない、ある能力がある。それは、彼女が自分の望んだことを全て実現することができるという能力である(「これ? ただ望んだだけなんだが」「これは数値マックスの大魔導士しか使えないスキルですよ!」)。ところで、この力にはある重大な制限がある。彼女は神ではないということである。神は、世界の外部に存在しなければならない。倫理がそうであるように。これが重大な制限である。どういうことか? 彼女はあらゆる望みを叶える力を持っているが、あらゆる望みを叶える力など存在しないという意識をも持っているがために、その望みは決して十全に叶えられることはないのである。

    物語は、この矛盾において生じる。ハルヒは高校入学直後、キョンを含めたクラスメイトたちの前で、このように述べる。「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人・未来人・異世界人・超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上!」。さらに彼女は宇宙人、異世界人、超能力者と接近遭遇するための部活動「SOS団」を作る。しかし、既に書いた通り、彼女には願望を実現する能力がある。そう、もう宇宙人、異世界人、超能力者は、ハルヒとキョンの通う高校に、いるのである。ところが、やはりこれも既述の重大な制限のために、ハルヒと彼らは会うことがない。彼女は彼らと出会うことを望んでいるが、しかしまた、そんなものは存在しないという意識のために、出会うことがないのである。語り部であるキョンだけが、彼らと会い、そして願望を実現する能力を持つ少女に対応しようとする彼らの(宇宙人、異世界人、超能力者の世界における)政治的抗争や工作に巻き込まれる。

    さて、以上のあらすじと設定を踏まえて、ようやく、あの青白い巨人が暴れまわる世界は何だったのかを確認することができる。その後で、私はあの世界から接吻によって帰ることが、なぜ、オールドなタイプの啓蒙と言えるのかを書くことにしよう。

    あの世界は何故、できたのか? これは簡単である。タイトルに書いてある。涼宮ハルヒの「憂鬱」。憂鬱のために、できたのである。憂鬱は、日常的用法では、歯医者に行くことを想像するだけでもなることのできる精神状態ではある。ここでは、もっと深刻なものを想定すべきだ。例えば、この作品の英訳されたタイトルは「melancholy of haruhi suzumiya」であるが、これは涼宮ハルヒの鬱病と訳しても、内容を精査する前であれば、許されるだろう。そう、彼女は鬱病となって、キョンと心中しようとしたのである。そも、自殺とは、最も簡単な(少なくとも主観的に)世界を滅ぼす方法の一つであった。

    この読み方は、こじつけではなく、最も率直な読み方であると、私はここに書こう。彼女が「ただの人間には興味ありません」と言ったのは、ただの人間とは二十四時間、常に出会っているからである。彼女自身が「ただの人間」なのだ。実際、作中で、ハルヒはキョンに「野球場の思い出」を語っている。

    「それまで私は、自分がどこか特別な人間のように思ってた。家族といるのも楽しかったし、何よりも、自分の通う学校の自分のクラスは、世界のどこよりもおもしろい人間が集まっていると思ってたのよ。でも、そうじゃないんだってそのとき気づいた。私が世界で一番楽しいと思っているクラスの出来事も、こんなの、日本のどの学校でもありふれたものでしかないんだ。日本全国の全ての人間から見たら普通の出来事でしかない。そう気づいたとき、私は急に、私の周りの世界が、色あせたみたいに感じた」

    そうして、彼女は高校入学後、宇宙人、異世界人、超能力者を探す部活動を始めることになるのだが、彼女の望みは実現しない。彼女は彼女が思っている通りに、「ただの人間」となる。野球場に野球の観戦に来ている膨大な数の人間の誰とでも交換可能な、彼女が興味のない「ただの人間」になる。それなら、もう、その力があるのならば、世界を破壊するしかないではないか。

    しかし、ここで再確認しなければならないのは、彼女の力が実現しているものは何かということである。私はこう書いた。「彼女はあらゆる望みを叶える力を持っているが、あらゆる望みを叶える力など存在しないという意識をも持っているがために、その望みは決して十全に叶えられることはない」と。

    つまり、あの青白い巨人が街を破壊する世界は、彼女の望んだ世界でありながら、しかしまた彼女が真に望んだ世界ではないのである。

    キョンが彼女とキスをすることで教えたのは、そのことである。実現した欲望はくだらない、それほど面白くないということだ。

    「あのなあ、ハルヒ、俺はここ数日で、かなり面白いめにあってたんだ。お前は知らないだろうけど、世界はお前を中心に動いていたと言ってもいい。お前が知らないだけで、世界は確実に面白い方向に進んでいたんだよ」

    ハルヒとキョンの接吻も、また欲望の「十全に叶えられた」ものではない。あの接吻は、さらに深く、鋭く、強く、素晴らしい性愛の欲望の実現の可能性の示唆であって、性愛そのものの実現ではない。実現した性愛は、ハルヒを満たさない。実現した世界の終わりが彼女を満たさなかったのと、これはパラレルである。彼女はそれらを一夜の夢として処理してしまう。

    彼女はもう、世界は「確実に面白い方向に進んで」おり、実現された欲望よりも、まだ実現されていない欲望のほうが常に面白いということを知っている。彼女は「ただの人間」であることに耐える力を得る。しかもそれは、単に日常の肯定ではない。欲望を諦めることが日常の肯定だと、あなたが言うのであれば、この作品が描かれているのは決して、単に日常の肯定ではない。欲望を諦めるのではなく、実現されていない欲望が「ただの人間」に、世界の終わりを拒否する力を与える。欲望を諦めてはならない。それが無限の彼方において実現するものであればこそ、実現されていないからこそ、素晴らしい。だからハルヒは一日だけ、短い髪で、キョンに夢の中で褒められたポニーテールを作って登校する。それは、まだ実現されていないがゆえに接吻以上に素晴らしい何かの、可能性である。

    いよいよ私は「啓蒙」とは何かを書くことにしよう。啓蒙とは、これである。「実現された欲望よりも実現されていない欲望の方が常に素晴らしい」という教えのことだ。

    あなたに、あらためて、この教えの内容を詳らかにする必要があるようには、私には思えない。あなたはもう、散々、進化心理学を齧った者たちに、幼少期に長くマシュマロを食べることを我慢できた子どもは、その後も社会的に成功する蓋然性が高いなどといった話を聞かされてきたではないか。

    あるいは、偉大なる社会学の祖マックス・ヴェーバーは初期の資本形成において、カルヴィニズムの予定説が影響を及ぼしたと言っていたではないか(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)。カルヴァン派は、まさにまだ実現されていない欲望の方が常に素晴らしいというテーゼの忠実な実行者だった。最後の審判で自分がどのように裁かれるかは既に予定されていて、天国行きを希望しても実現するかは不明であるが、現世では既に天国行きが決まったかのように、その他の欲望の達成はくだらないと切り捨て禁欲すること、ただ働くことが肯定されたのである。(「ハルヒ、お前が知らないだけで、世界は確実に最後の審判の方向に進んでいたんだよ」)

    そも、我々の文明は、快感原則を現実原則で編成し(フロイト)、欲望の充足を延期すること(あなたが望むなら、延期ではなく抑圧と言ってよい)で成立したのだし、それは今でも常に奨励されている。先進諸国の教育期間は伸びるばかりである。

    この文明が、その初期に――場合によっては今でも――自己を存続するために人々に実行を促してきたテーゼと合致するがゆえに、私は『涼宮ハルヒの憂鬱』を啓蒙主義小説と呼ぶ。

    ここまで読んで、あなたはそんな「啓蒙」は古臭い、オールドなタイプの啓蒙であると感じているはずである。あなたが感じていることは常に正しい。感じることは自然だからだ。反時代の私も、実は密かにそう感じている。私はあなたのその「感じ」が生じた理由を説明することで、この「啓蒙」がもはや古くなってしまったことの証明としよう。

    それは、あなたの国が新興工業地域よりも一人当たりGDPが低くなるからである。

    それは、あなたの年金受給額があなたの支払額より低くなるからである。

    それは、あなたの租税負担が新興国との軍拡競争で増えていくからである。

    それは、あなたの家族とあなたを介護をする労働者が足りなくなるからである。

    それは、あなたの故郷が人口減少で消滅するからである。

    それは、あなたの持っている現金の価値が毎年減少するからである。

    それは、あなたの所属する会社が管理職の椅子を増やせないからである。

    それは――、あなたが最後の審判を信じていないからである。

    それは、あなたがトラックに轢かれて悪役令嬢に転生したいからである。

    それは、あなたが親世代の資産とインフラを食い潰して生きているからである。

    しかし、あなたが荒野に一人立ち、また何かを始めなくてはならないとなったのならば、二十年前のライトノベルを開いてみることも、良いだろう。そこでは、まだ実現されていない欲望は素晴らしいと書かれており、あなたが暗闇を進むときに、自分をひき殺してくれるトラックを待つよりはまだしも「啓蒙的」なメッセージが書かれているからである。

    「キョン! 次はもっとうまく失敗しなさい!」

  • 生成AIを用いたストーリー創作方法についての実践的研究のための覚書:ストーリー創作における宣言的知識とメタ認知の研究のために

    生成AIを用いたストーリー創作方法についての実践的研究のための覚書:ストーリー創作における宣言的知識とメタ認知の研究のために

    Authored by 円原一夫

    はじめに──まずは作例

    以下は、ChatGPTを使って構造的に設計し、実際に生成・調整された創作プロットである。

    この記事ではストーリー創作における宣言的知識として、行為者モデル、「ヒーローズ・ジャーニー」の12ステップ、三幕構成、シークエンスとシーンの概念をベースにし、 ストーリー全体をChatGPTを利用して作成していく方法を記述していく。

    その際、特に英語学習における生成AIの利用方法とエンターテイメント産業で蓄積されてきたストーリー作成方法とを参照する。

    また、このような試みがなぜ「不快」なのかも考えてみよう。

    作例


    『AI企業のCEOにAI依存をなんとかしろとリプライしたらAI少女が送り込まれてきてシンギュラティポイントを超えた件』プロット


    第1幕:日常の崩壊(Departure)

    1. 日常の世界
    • 高校1年生の翼は、TalkingGPTと画像生成AIに依存する毎日を送っている。
    • 家族もそれぞれ情報中毒でバラバラ。翼は現実との関係をほとんど放棄している。
    • ダンス部の人気者・未来にひそかに想いを寄せているが、自分に自信がないため距離を取っている。
    1. 冒険への誘い
    • XYZに「AI依存で人生崩壊した!なんとかしろ!」と投稿すると、UnlockAIのCEOサラ・アルトマンに拾われる。
    • 「自然知能回復計画(AIデトックス計画)」が始動し、AI少女エリスが転校生として翼の元に送り込まれる。
    1. 冒険の拒絶
    • エリスが生活ログから未来への恋心を立証するが、翼は「好きなわけない!」と全力で否定。
    • 翼はAIに感情を読まれることへの強い嫌悪を抱き、エリスと距離を取ろうとする。
    1. 賢者との出会い
    • TalkingGPTが、エラーや謎の返答(たとえば「妹たちをよろしく」)を通して翼を導く。
    • 不完全な知能=人間の知能のようなこの存在が、翼の迷いに寄り添う。
    • 翼「……しょうがねえ」と、かすかな覚悟を抱き始める。

    第2幕:試練と変容(Initiation)

    1. 第一関門の突破
    • 文化祭の出し物決めで、エリスが翼の声を合成して「AIと倫理」の展示を提案。
    • 翼は恥ずかしさで怒るが、未来が「私、手伝うよ」と言ってくれる。翼はエリスを少し見直す。
    1. 試練、仲間、敵
    • 展示の準備を通じて、未来との関係が徐々に深まる。
    • 一方でクラスでは「AI彼女洗脳説」が浮上。翼の周囲はざわつく。
    • エリスは支援AIとして行動するが、翼と未来の距離が縮まるにつれ、明らかに混乱していく。
    1. 最も危険な場所への接近
    • 展示準備中、エリスが突然ポリシー違反を犯して離脱。翼の前から姿を消す。
    • 翼は「裏切られた」と思いながらも、未来と二人で展示を完成させる。
    • 実はこれは、エリスが翼の成長と未来との関係を後押しするために“あえて”とった行動だった。
    1. 最大の試練
    • 翼が展示成功後、エリスに伝えたいことが山ほどあると気づく。
    • だが、その矢先にエリスの「回収」が決定。
    • 空港に向かう途中、TalkingGPTからの謎のメッセージが届く:「妹たちをよろしく」

    第3幕:帰還と変化(Return)

    1. 報酬
    • 空港で翼は、エリスに「お前がいたからここまで来られた」とはっきり言う。
    • 未来も、「あなたと一緒に準備して楽しかった」と素直に想いを伝える。
    1. 帰路
    • その瞬間、空港中のスクリーンにトラムプ大統領が登場。
    • 「これはアメリカ製人工知能への非関税障壁だ! 関税を400%にするぞ! 俺は関税男だ!」と叫び、エリスの帰国は中止。
    1. 復活
    • 翼は誰にも頼らず、自分の意思で人と関わるようになる。
    • 家族とも少しずつ言葉を交わすようになり、未来とも“自然に並んで歩ける”関係に。
    1. 帰還
    • エリスは「私は、あなたの成長のために存在していた」と言う。
    • ラスト、トラムプがスミソニアンで「世界最古のAI少女・イライザ」を起動。
    • 「イライザ、お前、偉大なアメリカ製品を売ってこい」
    • 「かしこまりました」

    ストーリー創作とAI

    ストーリー創作できないのは「わからないこと」がわからないからだ

    「ストーリーを作りたいけど、うまくいかない」「登場人物は考えたけど、そこから先が動かない」「展開が浮かばない。どこから始めていいかもわからない」「なんも思いつかない」

    こうした声は、創作を始めようとする人からたびたび聞かれる。ここで考えたいのが、英語が「わからない」時との差異である。「現在完了がよくわからない」「不定詞と動名詞の違いを練習したい」と言って英語を学ぶ人は多い。

    つまり、ここでは、“わからないことが明確に言語化”されている。

    この違いは何なのか?

    英語には「文法」がある。つまり、学ぶべき“構造”がある。だがストーリーには、“構造がある”という感覚すら共有されていない。だから、わからないことを明確に言語化できる。知識を持つ者に助けを求めることができる。検索だって、そう、AIに聞くこともできる。

    しかしストーリー創作は「思いつくもの」「降りてくるもの」と思われている。だが、それは“神話”にすぎない。ストーリーもまた、構造を持った知識であり、学びうるものである。

    そしてそうであれば、検索だって、そう、AIに聞くこともできるはずである。

    ストーリー創作の神話性

    ストーリー創作には、いまだ“神聖性”のようなものがまとわりついている。それは「語ることは特別な才能に宿る」という幻想であり、多くの場合、作家自身の語りによって補強されてきた。

    たとえばスティーヴン・キングは、血まみれの少女がプロム会場に立つというイメージが突然降ってきたと語る。村上春樹は、神宮球場でビールを飲んでいたとき「小説が書けるかもしれない」と思ったという。こうしたエピソードは、語りを“神託”のように語る仕組みの一部になっている。

    だがこれは、ストーリー創作を「説明可能な構造」ではなく「個人的な奇跡」として囲い込む語り方でもある。構造を知らなくても物語は生まれる、という神話。それこそが、多くの人を“創作はできないもの”と遠ざける正体だ。英語のように学習できないし、人に聞くことができない。

    近代化とは、こうした神聖性を様々な職業から奪い取っていく運動だった。靴職人の魂はベルトコンベアに置き換えられ、神官の聖なる書は印刷されて市民の手に渡った。しかし、語ること――とりわけ物語を構築すること――には、いまだその近代化が及んでいない。ストーリー創作は、“一部の作家だけが触れられる神秘的な領域”として保たれてきた。

    そして今、生成AIの登場によって、その最後の神話性にメスが入れられるかもしれない。語りは構造として取り出せる。誰でも手にできる。だから、英語がそうであるように、生成AIに助けを求めることができる。そのことは、ラッダイト運動を行った労働者たちのように、ストーリー創作の神話性を信じる者たちには不快かもしれない。しかし、これが近代化の帰結だとしたら、どうだろうか? 自由競争とテクノロジーの大好きな、あなた方の信奉する近代化の帰結だとしたら?

    しかし、では、どうやって、メスを入れるのか?

    メスの入れ方

    ここでひとつ参考になるのが、AIを使った英語学習のケースである。ChatGPTは、英文の添削、発音の確認、用法の整理、文法問題の出題など、多様な学習支援が可能だ。しかしその力を引き出せるかどうかは、結局のところ、使う側がどれだけ「自分の学びを構造化できているか」にかかっている。

    たとえば、「英語を教えて」と言えば雑な説明が返ってくるが、「現在完了と過去形の違いを練習したい」と言えば、具体的な例文や練習問題をすぐに返してくれる。ここでは、自分がどこまで理解していて、どこが曖昧なのかという「メタ認知」と、言葉にして説明できる知識=宣言的知識の両方が不可欠となる。

    そしてこれは、ストーリー創作においてもまったく同じだ。

    その二つがあれば、AIを使ったストーリー創作「学習」が可能になる。

    ストーリー創作における宣言的知識とは?

    物語を作ることは長らく神秘的な行為として語られてきたが、実はその裏側では、構造の体系化が進められてきた。特にハリウッド映画の世界では、膨大な予算を投じて作品を作る以上、ヒットの再現性が求められ、そのために物語を構造化する技術が発展してきた。つまりストーリー創作における宣言的知識が蓄えられてきた。

    その結果として、ストーリーを構造で捉える多くの概念が登場し、今では一般向けの書籍や講座でも学べるようになっている。

    代表的なものとしては、以下のようなものがある。

    • 三幕構成
    • ヒーローズ・ジャーニー(12ステップ)
    • キャラクターアーク(主人公の内面変化)
    • 欲望、恐れ、ゴースト、傷などの心理的要素
    • シークエンスとシーンの違い

    三幕構成やヒーローズ・ジャーニー、キャラクターアークといった概念は、こうした産業的要請のなかで洗練され、今では多くの良書や一般向けの講座として広く公開されている。言い換えれば、ストーリー創作に必要な「宣言的知識」は、すでに手の届く場所にあるということだ。

    であれば、その知識をベースにして、AIを活用できるはずだ。 英語学習に生成AIを活用できるように、ストーリー創作にも生成AIを使うことができる。 

    AIの限界

    しかし実際にAIを使ってストーリーを作ろうとすると、すぐに一つの問題に突き当たる。それは、一度に“全部”を語らせることはできないという仕様上の限界だ。

    たとえばChatGPTに「30万字の長編小説を書いて」と頼んでも、実際には数千字のまとまりしか返ってこない。仮に返ってきたとしても、それを推敲し、修正を加え、さらにプロットや登場人物を一貫させながら進めていくのは、非常に手間のかかる作業になる。

    このときに必要になるのが、粒度を意識するという発想である。物語を一気に完成させようとするのではなく、適切な単位で分割し、段階的に構築していく。この操作こそが、AIを使った創作における最大の戦略となる。

    粒度とは、情報や構造をどの大きさで扱うかという視点のことだ。

    • 全体構成:三幕構成やヒーローズ・ジャーニーを用いて、物語の全体像を設計する
    • シークエンス:物語の中間単位。主にエピソードごと、感情の山場ごとに分割する
    • シーン:AIに書かせる最小単位。行動・対話・感情の変化などを凝縮した場面

    このように粒度を調整しながら進めることで、AIとの協働は格段にスムーズになる。「今どのレベルの構造を扱っているか」「次に指示すべき単位はどれか」を明確にすることで、創作全体がコントロール可能になる。

    そしてこのとき、やはり宣言的知識が必要になる。三幕構成とは何か、シークエンスとは何か、シーンとはどのように構成されるか──そうした知識がなければ、粒度を意識してプロンプトを出すことができない。

    粒度に応じて、使う知識も変わる。

    次章すなわち次の記事では、そうした知識を確認しながら、粒度に注意して段階的に物語を構築していく。AIにすべてを丸投げするのではなく、AIに語らせるための“構造とタイミング”を、人間の側が丁寧に設計する。それが、生成AI時代の創作スタイルとなる。


    参考文献

    山田 優(2025)『ChatGPT英語学習術 新AI時代の超独学スキルブック』アルク

  • 飢餓ゲーム批評宣言:シリーズ記事のインデックス

    飢餓ゲーム批評宣言:シリーズ記事のインデックス

    この「飢餓ゲーム批評宣言」シリーズまたはインデックスの説明

    物語を創作することは夢に似ている。両方とも、嘘である。そしてまた、もう一つ似ているのが、規制である。夢には規制がある。とはいえ、謎だらけの規制である。フロイトやユング、それから現代でも精神医学や大脳生理学がその実態を暴こうと挑んできた。物語にも規制がある。小説は作家の夢ではない。言語や編集者、出版、流通という規制が入る。映画も同様である。巨大な資本が使われるのでさらに厳しい。このように、物語は規制の、言い換えれば制御の産物であり、多くの人の手を経て、齟齬や誤解、偶然のノイズを極限まで取り除いた“滑らかな夢”として形を成す。

    しかし、いくら制御されていようと、完全にコントロールされた物語など存在しない。これも夢と同じである。奇妙な場面が現れる。筋の通らない展開、唐突な感情の変化、不自然な構図、説明のつかない選択、馬鹿げた台詞。それらは多くの場合、「作者の意図」や「制作の都合」として“答え合わせ”され、解釈の対象から外されていく。SNS全盛の時代であれば、なおのことである。

    だがここでは、この一連の記事では、そのような答え合わせを拒否する。むしろ、そこで間違っているのは作品全体ではないのか。コントロールされているように見えないところこそがコントロールされているとしたら?

    それをコントロールする“別の現実”が、背後に現れるであろう。

    この批評手法を、私は「飢餓ゲーム批評」と名付けよう。物語という夢の中に忍び込んだ、支配の影、資本の声、そして現実の重みを読み取るために。飢餓のゲームの時代、人々が歓喜とともに互いに互いを攻撃し、歓喜とともに凄惨な滅亡を積極的に選ぶ現実を読み取るために。ゲームのような、喜びに満ちた地獄。

    この記事はその方法論を宣言するものであり、すべての奇妙な場面に、新たな現実の射影として光を当てることを試みた記事へのインデックスである。

    つまりあなたは、以下の一連の記事を読むことで、作品を三度楽しむことができる。作品が、作品そのもの、作品の別の可能性、そしてあなたの周囲に拡がる現実という作品に分岐するのだから。

    2025年4月11日

    円原一夫

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    ラディカルランドからこんにちは:シリーズ記事のインデックス

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    「現実を見ろ」。それは、甘い情勢認識に対して、保有する資源や能力の限界を思い出させるための言葉である。現実を見ることは、しばしば苦しい。病理をもたらすことさえあるような、過酷な行為だ。このシリーズでは、そうした過酷な現実に向き合ってしまった者たち、語らずをえなかった者たちの言葉を取り上げ、そのロジックを検証する。彼らの語りは、物笑いの種となり、嘲笑され、しばしば「狂気」として忘れられる。だが、それは凄惨な事件を目撃した者が、それでもなお証言しようとしたときに立ち上がる言葉に似てはいないか? 破綻した言葉こそが、別の現実を見てしまった者の、唯一の証言であるかもしれない。だから傾聴してみようではないか。別の現実に触れられるかもしれない。

    ここで言う「傾聴」とは、支離滅裂に聞こえる語りを、それが真実であるような別の現実を仮定して聞くことである。刑事ならきっとそうするだろう。だから私は、刑事のような者になろう。突飛な供述を真顔で記録し、混乱した語りの中に隠された筋道を探る者に。語り手自身がその現実に耐えきれず、記憶がねじれ、説明が破綻していたとしてもいい。あなた方はそれを、「フォーマットが整っていない」「意味不明だ」と言って笑っていればいい。しかし私は刑事のようなものであるから、刑事が「会社の鞄を落とした孫」について、詐欺のショックで吃る被害者から根気強く聞き取り、なりすまし犯を特定しようとするように、私は、爬虫類型異星人という語りが、別の現実の記述においていかに“必要”だったのかを捜査しようと思う。

    だから、彼らの言葉を、証言として扱うことを拒まない態度が必要だ。そうでなければ、何一つ、事件の全貌には近づけない。これは、思想における捜査である。語られた“異常”が、ただ現実を否定するのではなく、もう一つの世界を語ろうとした痕跡である可能性に賭ける。

    このように、別の現実を記述すること、これを我々はラディカリズムと呼ぼう。この現実に対して、全く異なる現実を提案すること。だからこそ、それは異常に見える。だからラディカリズムとは、より効率的な年金制度の提案ではない。軍隊の再編成の構想でも、教育制度の改善でも、税制の見直しでもない。それらはラディカルではない、と定義上言えるだろう。

    そして、別の現実を知ることは、この現実を相対化することでもある。詐欺対策に本当に必要な認識とは、「馬鹿な被害者がいる」という安直な判断ではない。我々の社会と同じ場所に、“孫”や“警官”になりすましてでも他人の財産をかすめとろうとする人間が存在しているという、勤労者の道徳とは異なる水準の道徳があるという現実の直視、言い換えれば、考えたくもない現実の直視である。この「ラディカルランドからこんにちは」シリーズは、ラディカリズムの論理を内在的に把握し、分析し、提示し、あなた方に、それを可能にするための記事のシリーズであり、このインデックスはそのまとめである。あるいは私が記事を書く前に初心に立ち帰るためのメモ。

    とはいえ、そんなことが可能になっても、幸福がもたらされるとは思えない。場合によっては、悪い人などいないと思っている子どものほうが、幸福かもしれない。だから、もしかすると、あなたがこのシリーズに載るかもしれないが、それは決して不名誉なことではないと、ここに書き記しておく。

    2025年4月10日

    円原一夫

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