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For the end of the world and the last man

宇宙人は来ている、そして彼らは共産主義者だ:フアン・ポサダス『空飛ぶ円盤、物質とエネルギーの過程、科学、革命と労働者階級の闘争、人類の社会主義的未来』

Authored by 円原一夫

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「宇宙人は共産主義者である。そして彼らは、すでに来ている。」

この言葉は、アルゼンチンの革命家フアン・ポサダス(1912–1981)の思想を象徴するものとして知られている。第四インターナショナルの分派「ポサダス派」を率いた彼は、ラテンアメリカ各地で革命運動に関与し、トロツキスト理論の普及に努めた。だが今日では、彼の名はしばしば奇矯なイメージと共に語られる。

1968年に発表された論文『空飛ぶ円盤、物質とエネルギーの過程、科学、革命と労働者階級の闘争、人類の社会主義的未来』において、ポサダスは次のように述べている。

These beings from other planets come to observe life down here and laugh at humans, we who fight each other over who has the most cannons, cars and wealth.

宇宙人は来ている――だが、それは、ただの空想やロマンではない。ポサダスにとってそれは、ある必然的な論理の帰結だった。そして、その論理が今や奇矯にしか見えないというところに、この地球が絶望の星である理由がある。

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ポサダスにとって、共産主義とは単なる理想ではない。 それは歴史の必然であり、理性の帰結である。ところが、彼が生きた現実の地球にはそのような理性がどこにも見出せなかった。

労働者国家は堕落し、左派は分裂し、社会主義は資本の網の中で失われつつあった。 そして今日においても、社会を変える力は制度と想像力の両面から封じ込められたままだ。

だとすれば――理性は実在しないのか? それを否定することは、共産主義のみならず人間の理性的可能性そのものを否定することになる。

ポサダスはこう述べている。

We accept that extra-terrestrial beings exist, as a conclusion of dialectical thought. This gives us confidence that we can master no matter what other phenomena that exist, without being caught off-guard.

ポサダスにとってこれは、信仰ではない。理性を擁護するための、理性自身による“跳躍”だった。その跳躍の先にあるのが、宇宙人は存在する、そして彼らはすでに「来ている」という確信だった。

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ポサダスは、宇宙人が観察者として来ており、地球のようなくだらない星の矛盾に巻き込まれていないことを何度も強調している。

They have shown no interest in attacking, violating, stealing, possessing: they have come to observe.

そして、彼らが非暴力的かつ穏やかな存在であることを、目撃者たちの証言から導いている。

All the people who say that they have seen them, say that none of them were of an aggressive disposition or inspired fear in them.

このような素晴らしい存在が地球を訪れているという仮説は、ポサダスにとって、地球外に、つまり世界に理性的な社会秩序が存在しているという思想的確信を支えるものだった。

だからこれは当然のことながら、他方では恒星間飛行を実現していないような「地球人批判」でもある。ちょうど北欧のデモクラシーを例にあげて、その欠如としての日本のデモクラシーを批判的に検証するようなロジックと同じである。彼は、地球社会の支配階級が科学や知識を利潤や権力のために制限していることを批判し、次のように述べている。

What does that give him? Power over others? And what then? … It does not give him any capacity to raise and develop his intelligence. On the contrary, it limits it.

ここで言う「それ」とは、工場や軍事的地位などの財産・権力を指している。ポサダスは、富や権力が知性の発展を阻害していると主張する。恒星間飛行を実現し、穏やかに地球を見守る共産主義の宇宙人との、なんという差であろうか?

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現代において、ポサダスの名前はミームの一部として再浮上している。「UFOを信じたトロツキスト」「宇宙人は共産主義者」「核戦争を肯定したマルクス主義者」といったラベルが、RedditのスレッドやTシャツ、ステッカー、ファンアートの中で再生産されている。

だが、それは決して真面目な再評価ではない。 それは笑いであり、そしてしばしば不安に対する防衛反応である。ジョークというのは、しばしば恐怖に対する反応なのだ。

つまり我々は、理性のないこの地球、そして理性のないこの銀河に住んでいることを、おそらく無意識のうちに理解している。そしてそれを直視するかわりに、「宇宙人なんているわけがない」と笑ってやり過ごすのだ。笑いの中にあるのは、理性の敗北を受け入れるという諦念である。

我々が彼を笑えるのは、理性の実現をどこにも、銀河の果てまで探そうとも見出さないという社会的合意との差においてなのだ。

ポサダスはこう述べた。

These beings from other planets come to observe life down here and laugh at humans, we who fight each other over who has the most cannons, cars and wealth.

これは、未来への希望ではなく、地上の理性の不在を埋め合わせようとする必死の跳躍だった。

理性が地球にないのなら、せめてどこかにはあるはずだ——そして来ていてほしい。 そうでなければ、我々の惨状には終わりがない。理想社会、彼の言葉で言えば共産主義は実現不可能なものになる。

だが、もし我々が彼をただの冗談として処理してしまうならば、それはこう言っているに等しい。

「理性は、銀河のどこにもない。ポサダスが描いた地球の惨状は、永遠に続く」

そしてそのとき、地球人にとってもっとも悲惨な結論が訪れる。

ポサダスはやはり、完璧に間違っていた思想家だったのだ。


参考文献

J. Posadas, Flying Saucers, the Process of Matter and Energy, Science, the Revolutionary and Working-Class Struggle and the Socialist Future of Mankind, June 1968.
https://www.marxists.org/archive/posadas/1968/06/flyingsaucers.html